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白い花

Dummy

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コッペリアの柩(真百合)

蝶毒の真百合。

「上海愛玩人形」ED後のふたり。

割と微死ネタなお話なのでご注意ください。

あのEDといい悪人EDといい、ED後の真島の口調はタメ口なのか敬語なのかが気になる(´・ω・`)









コッペリアの柩 (真百合) 上海ED後


 


重く軋む扉を開くと、男は人形のいる部屋に入った。
ぶ厚い帳幕に囲われたその部屋は昼だというのに薄暗く、しんと静まりかえっている。


男は部屋に入ると出迎えた世話役の女に声をかけた。


「容態は」
「落ち着いていらっしゃいます。往診にきた医師も小康状態であるとおっしゃっていました」
「そうか。―――お前は下がっていろ。あとは俺がみる」
「かしこまりました」


若いはずなのに妙に老けた印象を残す女は淡々と礼をとると部屋を出ていった。


扉の閉まる音を背に、男は―――真島は、ふう、と息をつきながら着ていた礼服の襟元を緩めた。
部屋の奥にしつらえられた紗で囲われた寝台に目を向ける。
その寝台に向かいながら真島は肩が凝る礼服を脱ぎ捨てて長椅子に放り投げた。
大陸の民族衣装であるこの服が彼の身に馴染んで久しい。
日本を離れて大陸に本拠をかまえ、裏の世界で商売に精を出す日々は真島にとって苦痛でもなんでもなかった。
彼にとって、ここ上海は性に合う地なのだろう。


―――けれど、合わないものもいる。


寝台に横たわり深い眠りについている少女の寝顔を覗きこみ、真島は痛みを堪えるような表情を浮かべた。


「ただいま、百合子」


聞こえていないのは承知のうえなのに、それでも声を低めて真島は少女に声をかける。
手のひらで少女の髪を撫でおろすと、真島は再び息をついた。今度は安堵のため息を。


上質の寝具の中で浅い呼吸を繰り返す少女が、いま確かにそこにいることを確かめたゆえの安堵だった。


「・・・最近のあなたは眠ってばかりだね」


いたわるように柔らかな手つきで真島の手のひらが百合子の頬を撫でる。
陶磁のように白く柔らかな膚。絹糸のように艶やかな黒髪に縁取られた小造りで整った顔は、瞼を閉ざされているせいで常の魅力の半分を失ったかのうように見える。
真島は苦く笑った。


「まるで、本当の人形みたいだ―――」


白い寝具に映える乱れた黒髪と、寝具に力なく放られた四肢の生気のなさが、百合子を一層人形じみた存在に見せるのだろう。


―――いや、それとも。


真島は少女の黒髪をすくい上げて恭しく接吻した。


「……それとも、手折られた花、かもしれませんね、あなたは」


自嘲げに真島は喉を鳴らした。


―――三郎が引き起こした事故の後、ひそかに百合子を連れ去り、傷が癒えるのを待ちわびてここ上海まで浚ってきた。
真島の邸宅の奥深くにかくまい、その存在すら隠すように閉じこめたこの月日は、百合子を確実に弱らせてゆく。


明るい陽射しの注ぐ穏やかな庭で健やかに咲いていた花が、薄暗く陰に満ちた森の奥へと植え代えられたようなものだ。


水が違う。土が違う。陽が違う。


目も見えず、耳も聞こえぬ弱った花をこんな異国に連れてくれば、弱り果てるは必定だった。


「―――わかっていた。そんなことは、わかっていた―――」


寝具からのぞく百合子の手を取り、暖めるように己の手を重ねると、真島は苦しげに眉をひそめた。


「それでも、俺はあなたが欲しかったんだ、―――百合子、…俺の姫様」


目が見えず、耳も聞こえず、―――今の彼女は自分の置かれている状況を真の意味で知ることはけしてな
い。


ここがどこなのか。家族はどうなっているのか。なぜこんな目に遭っているのか。
百合子は知らないし、知ることもない。そう。
―――自分を夜毎抱くのは誰なのか。
―――閨房で果てもなく交わる相手が血の繋がった実の兄であることも。―――なにも知ることはないのだ。


「あなたが、なにも知らなければ、俺たちは“他人”でいられる。―――俺はあなたを抱くことができる。あなたがなにも知らないから。―――あなたが、人形だから」


昏い情念が声音に篭もる。
目覚めた百合子の状態を知ったときのあの薄暗い歓びが生々しく真島の内に蘇った。
愛しいのと同じだけ彼女のことが憎かった。
目が覚めたら、絶望の縁にたたき落としてやろうと、あの瞬間まで思っていたはずだった。


そう。彼女の目と耳がもはや機能していないと知ることとなったあの瞬間まで。


百合子が何も知ることができなくなったと知った時、真島は「赦された」と思った。
知らないままなら真島は百合子にとって、何者でもないまま愛することができるのだと。


何も知らないまま平和に笑う百合子が憎いと思うだけ、何も知らない彼女を愛しく思う。
これは、矛盾を解決するうってつけの状況だと、あの時真島は考えた。
そして、今もそう思っている。


―――屋敷の内に籠められて少しずつ手足が萎え、体を弱らせてゆく少女を。
陽にもろくにあてられぬまま、ただ男に抱かれるためだけに生きる彼女を。


憐れにも、愛おしくてならない。


「百合子。…姫様。―――俺の姫様」


少女の白い手に頬ずりして、真島は懺悔する異教徒のようにその手をおしいただいた。


少しずつ体を弱らせた百合子はここのところ寝付くことが多くなった。
事故の後遺症なのか、時折弱々しく痛みを訴える。


名医と名高い医師を雇って百合子の治療にあたらせてはいるが、耳も目もきかぬ百合子と、中国人の医師との間では意志の疎通も難しく、真島が仲介しても、おそらく症状の半分も伝え切れてはいないだろう。


「―――それでも、百合子。それでも、俺はあなたを放さない。許してくれとは言わない。許さなくていい。……憎んでも恨んでもいい。
だけど、俺の腕の中にいてください。ここよりほかには行かないで、百合子―――」


彼女だけだ。
復讐に猛った真島を慰めるのは。
闇社会での権勢を誇るほど、冷たく凍ってゆく自分を温めてくれるのは。
よすがを求める幼子がすがりつくように、真島は少女を求めずにいられない。


だのに。


―――そんな男の身勝手でこの暗闇に閉じこめられる理不尽さにさえ、百合子は気づけないのだ。


ただ人形のように持ち主の望むまま、朽ち果てるまでそこの在るしかない少女。


自己嫌悪と―――昏い充足感の狭間で真島は夜毎少女に懺悔する。


そうして彼女を抱くのだ。
赦しを請うたその口で彼女に淫靡な言葉を投げつけ、己の欲望を押しつける。


それでも、彼女は清らかなまま、そこにいる。


それだけが真島を安堵させた。
緩くため息をつく真島の下では少女が昏々と眠っている。
時間を忘れて少女の寝顔に見入ってしまう。


―――その時、ふ、と眠る百合子の瞼が震え、ゆっくりと目が開く。
見えないのに、それでも周囲に目を向けて、それから真島のいるあたりに顔を傾けた。


「…来ていたのね」


百合子は眠そうに呟いて微笑んだ。


「寝ていたみたい―――」


ひとりごとのように口の中で言葉を転がした百合子は、自分の手を握る真島の手のひらに気づいたのか、ふふ、と笑った。


「あたたかい」


愛しげに百合子は呟くと、真島の手をそっと握りかえした。
その柔らかさが悲しい。真島は百合子の頬にそっとくちづけを落として、その耳元に声を落とした。


「温かいのはあなたですよ。―――あなただけがこの世で唯一温かい存在なんです。―――俺にとってはね」


真島の言葉を知ることはなくても、百合子は擽ったそうに目を細めてクスクス笑う。
その白い面は病的なまでに美しかった。


―――あまりにも透徹なそれは、真島に終わりを予感させずにはいられない。薄羽のように儚い美しさだった。


遠からず、この歪んだ蜜月は終焉を迎えるだろう。


だが、それがなんだというのだろう。


すべて自分が望んだことだ。
彼女はここにいるし、真島は最後まで彼女と共にある。


―――そう。最後まで。


もとより復讐が終わればいつ捨ててもいいと思っていた命だ。
その復讐を投げうってまで手に入れた彼女が彼岸へ去ろうというのならば―――。


真島はそぅっと百合子の口唇に己のそれを押し当てて囁きにもならぬほど小さい声で告げた。


「―――最後まで、あなたは俺のものです。たとえ、この世が終わっても―――」


「……?」


「俺だけの―――かわいそうなお人形ですよ」


だから、どうか最後まで、あなたは何も知らないままで。


この静かで穏やかな人形の柩の中で、その日を迎える瞬間まで微睡んでいてください。


祈るような真島の声音はしんとした部屋に吸い込まれ、消えて果てた。


あとには、震えるような少女の吐息だけが立ち昇る香のように人形の部屋に満ち満ちていった。

 



<2011・7・25>

 

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