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白い花

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茜さす (弧白→子藍)

弧白→子藍丸。

プチ家出中の藍丸を唆そうとする弧白のお話。

※数年前に書いたSSの再掲載です。





茜さす (弧白→子藍)



 

 隅田川の岸辺をほとほとと歩む小さな背の少し後ろを、弧白は黙ってついて歩いた。


日がそろそろ傾きはじめる。
もうじき暮れ六つの鐘が鳴る頃だろう。


こんな子供がこの時分にひとり歩けば、人攫いや野犬に襲われてもおかしくない。
だと言うのに、一向に帰ろうとせぬ背中に弧白はひそりと含み笑った。


「ねえ、藍丸。 そろそろ帰らないのかい?」

「……」


問いに答えないまま藍丸は歩き続ける。
それにもやはり笑った弧白は、頑固な幼子の後をゆっくりと追った。


―――ささいなことで雷王と喧嘩した藍丸が癇癪のまま長屋を飛び出して、もう一刻ほどになる。
近所の悪餓鬼をどっちが先にぶったかとか、そんな言い合いだ。
藍丸は「俺は悪くない」と言い張り、悪餓鬼は大きなタンコブをこさえて目を回している。


 困ったような表情で、「むやみに人に手をあげるな」と諭す雷王に無性にムカッ腹が立った。
腹立ちまぎれの捨て台詞を残して走り去った藍丸の側近くに、いつのまにか弧白がいたのだ。


片意地張った頑固な背中の少し後ろを白い妖はついて来ていた。


そのまま何を話すでもなく、二人は川辺を歩いている。


 空に見えるは茜雲。
見上げれば、巣へ帰ってゆく鳥の群れ。
 土手を挟んだ通りから聞こえるのは、青菜を売り切ろうとする棒手振り(ぼてふり)の声だ。
子供達のはしゃぐ声の合間におかみさんが夕餉を知らせる声もする。


鴉の鳴き声すらが一層もの寂しさを増す。


今日はもうおしまい。
さあさ、みんな家にお帰りと、そう告げている。


それらを聞きながらも藍丸の歩みは止まらない。
だから弧白の歩みも止まらなかった。


 少ししてから、幼子の放つぶっきらぼうな声がした。
いつもより掠れた声が涙を堪えた名残と知れて、知らず白い妖は目を笑ませた。


「―――別についてくることないぞ。 お前は帰ればいい」


「おや、つれないねえ。 私が藍丸を置いていくことなんてありはしないよ。お前が行くのなら、どこまでだってついてゆくとも」


甘く優しくそう答えれば、藍丸の背が困惑したように揺れた。


「俺ならひとりで平気だ。 それに、お前のことを信用したわけじゃ、ないし…」

 そう言う言葉尻はどこか中途半端に途切れていった。
細い背中が居心地悪そうに丸くなってしまう。
 だが、それはどこか逆毛を立てた子猫の風情も醸している。
きっと、今、その背に触れれば跳ね返されるだろう。俺に触れるな、と。


 出会って間もない弧白のことを藍丸は信用しかねているのだ。
何よりも、育ての親の雷王が弧白のことをひどく警戒しているのだから。


それらを知っていても、弧白は緩い笑みを崩さぬまま藍丸から少し離れた位置で並んだ。


「私はお前がいる場所だから、あの狭い長屋なんぞにいるんだよ。だから、お前があそこから出るというなら、一緒に行くよ。 そうだね。いっそ雷王なんて置き捨てて私と共に在るがいいよ」


きっとそのほうが楽しかろうよ、と弧白は切れ長の目で藍丸を見遣った。
 白皙の美貌に浮かぶのは、幼子には毒な婀娜な眼差し。


夕陽に染まる風景の中に浮かぶ白い男は、まるで悪い夢へ誘うような美しさで、向けられた微笑に藍丸はクラリと目眩を覚えた。


―――この男が強い妖なのは知っている。
そして何故か藍丸に好意的なのも。


だけど、いつから一緒に暮らしているのか藍丸には判然としなかった。


 ずっと共に起居している気もするし、つい昨日にやって来た気もする。
どうにも不可思議で、―――そして、とても、恐い妖だ。


ぼんやりと弧白を眺めていたら、随分と近い距離に白い妖が立っているのに気が付いた。


「―――どうしたね? 藍丸。 ぼぅっとして」


 白い指先が手套越しに藍丸の頬に触れる。
いつもなら警戒して跳ね返す所だが、なぜか今はそうする気が起きなかった。
 川風に揺れる弧白の銀髪が柔らかく頬や手をくすぐるのも、雷王との諍いでささくれた心を慰めるかのようで心地よい。


「……なんでも、ない」
「そうかい?」
「うん」

 どこかぼんやりと答える藍丸に弧白は笑みを深めた。
指先でするすると頬をなぞり、唇をゆっくりと撫でてゆきながら、弧白は藍丸の耳奥に流し込むように甘く囁きかける。


「ねえ、藍丸。お前、あそこには帰りたくないんだろう? だから、こんな時分に一人でこんな川べりを歩いてるんだろう?」
「―――え?」


 帰りたくない、のだろうか。自分は。
確かに雷王の顔を見たくなくて、一散に歩いてきたけれど。


困惑と意地張りの色を浮かべる幼子の目を覗き込むと、弧白は「わかっているよ」と、頷いてみせる。


 柔らかく。優しく。甘く。
藍丸の全てを肯定する笑みを浮かべて。弧白が。


「じゃあ、私と行こうか―――?」


 普段は冷たい切れ長の目を細めて甘い笑みを結ぶ。


「そうすればもう人の間で悩むこともない。 人の子に手を上げたとて責めたりなどするものか。だってお前は妖の血を引いているのだもの。人の間で生きるなぞ愚の骨頂というものさ」

 白い手のひらが藍丸の頬から後ろ髪に回り、優しく髪の毛を梳いてゆく。
川風で乱された髪をあやすように撫でつけて、弧白はそぅっと藍丸の背を抱き、引き寄せた。
 藍丸は怯えた風情で弧白の袖を引き、白い妖の顔を見上げる。


「―――弧白?」

「私がお前を護ってやるよ。 雷王ごときにお前を護りきることができるものかね」

「……なんだよ、それ、」

「だから、ねえ? ―――私と行こう、藍丸」


切ないような笑みで見つめられて藍丸は頭の芯が熱をもったような気がした。


―――混乱する。


 川風に冷え切った体に弧白の手は暖かかった。
優しく撫でてくれる指先も、背中を抱く腕も、今の藍丸を惑わせるには十分すぎるほど。


弧白と行く?
雷王を置いて?
長屋を出て、浅草を出て、江戸をも出るのか?
弧白と、共に。


 それは藍丸にとって未知の選択肢だった。


雷王の側を離れることなど想像したこともない。


 大体、癇癪を起こして飛び出しはしたけれど、雷王とこれきりになるつもりなど更々なかった。
―――いや、そのはず、だ。
ではなぜ、自分は迷うのか。


「…あ…、だって俺は、そんなつもりじゃあ」


 混乱したまま首を振り、藍丸は目線を俯けた。
弧白のまとう白い綾織の着物が夕暮れの茜色に染まっているのが、やけに目についた。


赤い。赤い。何もかもが赤く染まる。燃えるような空と―――弧白。


「―――嫌かい?」
「俺、…俺…」


 行かない、と即答できない自分をいぶかしむ余裕もなく、藍丸は幼いなりに何とか頭を整理しようと言葉を探す。


恐る恐る見上げた先にある弧白の笑みが、静かに藍丸の答えを待っている。


 口を開けては言葉が出ずに、瞬きを繰り返しては口を閉じる。


それを数回繰り返した時だった。遠くから暮れ六つの鐘が聞こえたのは。


聞きなれたその鐘の音に、藍丸は何故だか夢から覚めた心地になった。


 目を見開いて辺りを伺う藍丸の背を抱く腕の力がわずかに強くなる。


「―――…ちっ」


頭上から舌打ちが聴こえたのは気のせいだろうか。


「弧白?」
「ふふ、どうやら邪魔が入ったらしい」
「邪魔って、なんだよ、それ」


眉根を寄せた藍丸の背後から、妙に懐かしい声がした。


「―――藍丸!」


その声に弾かれたように藍丸は振り向いた。


「雷王!」


 夕焼けの川辺に、険しい顔をしてこちらを睨みつけてくる雷王の姿があった。


巨躯を怒らせ、立ち昇る殺気にも似た空気に藍丸はたちまち怯えた。


 まだ怒っているのだろうか。
そう思う間にも雷王はまっすぐに近づいてきて、低く唸った。
視線の先にはどうやら弧白がいるようだ。

「―――藍丸から離れろ、弧白」
「おや、やって来るなり随分な物言いじゃないか。 私はただ藍丸と散歩をしていただけというに」

 からかうように弧白は答えて、見せ付けるように藍丸の頬を撫でる。
雷王はもう何も言わなかった。
無言で藍丸の体を弧白から引き剥がすと、目線を合わせるために幼子の側にしゃがみこんだ。


落ち着いた声音を装って藍丸を諭す。


「帰りが遅いので迎えにきた。 このような時分までひとりで歩くのは危険だと言ってあるはずだろう、藍丸」


 そうして、触れた藍丸の体が川風に当たったせいで冷えきっていることに気が付くと、気遣わしげに眉をひそめ、何も言わずに小さな体を抱き上げて立ち上がった。


「うわ! ら、雷王、ひとりで歩けるってば!」
「冷え切っている。 こうしたほうが暖かいだろう」
「そりゃあ、まあ…」


先ほどまでは雷王に怒っていたはずなのに、大きな体で抱きこまれると、それだけで心の底から安堵してしまう。
藍丸は腕を回して雷王の首にしがみつくと、首筋へ顔をうずめた。


それから、雷王に謝るべきか何を言うべきかを迷ったあげく、結局口から出たのは正直な言葉だった。


「…歩き疲れて腹が減った」


拗ねたようにポツリと呟く藍丸に、雷王は苦笑して、ならば早く帰って夕餉にしようと答えた。


それらを緩い笑みで眺めていた弧白へ、雷王はきつい目を向ける。


「貴様、なにゆえ藍丸を誑かそうとする」
「なんだい、人聞きの悪い。 私が何をしたっていうんだい?」
「―――貴様…」
「おやおや、恐いこと。 ―――さて、お迎えに来たのなら、私も帰るとするかねぇ」


苛立ちに彩られた獣の目で睨まれても、弧白はいっこうに堪えた様子も見せず、ふらりと裾を翻すとさっさと歩きだした。
どうやら共に帰るつもりらしい。


しばらくその背を睨みつけてから、小さくため息を漏らして、雷王もまた腕に抱いた幼子と共に帰路についた。


ぎゅっとすがりつく幼子の熱いばかりの体温に、心底から安心しながら、茜色に染まる川辺を歩く。

 

川から吹く風に紛れるように、白い妖の呟きがため息まじりに流れていった。


「―――やれ。まったく邪魔な雷獣だこと。 いま少しだったというのにねぇ」


残念そうな声とは裏腹に、艶やかな口元に浮かぶのは、それでも愉しげな笑みであった。

 

<Fin>

<08・9・22>

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