歪んだ柘榴 (弧白×藍丸)
冬ももう近いというに、今日はずいぶん暖かい。
陽射しは柔らかく、風もない良い陽気に、階下のひとつ目達ははしゃいで駆け回っている。
いつもなら、そろそろ雷王の小言が落ちるところだが、ここ数日はあいにくと所用で遠出をしているため、今は咎める者もいない。
おまけに萬屋の若き主も、今朝がた一人で外に出ており、どうにも屋敷の雰囲気は緩くなりがちだった。
桃箒が溜まった洗濯物に精を出す気配や、屋敷に住まう妖らが陽気に誘われて笑いさざめく声と。
主不在の萬屋屋敷はそれでも何かと賑やかだったが、その奥のひと間の周囲だけは誰ひとり近づこうとせぬもので、しんと冷たく静まり返るばかりだった。
―――その、誰も近寄らぬ場所はといえば。
上質な調度類で調えられてはいるものの、どこか空虚な部屋だった。
さして広くもないそこで、部屋の主である弧白はゆったりと脇息にもたれて退屈げに欠伸をもらした。
どこか不機嫌に伏せられた目元がやけに艶めかしい。
流れる白銀の髪を鬱陶しそうにかきあげながら、弧白は開け放たれた窓に目を向けた。
じっと耳をそばだてるように空を見つめる弧白はやがて、口唇をほころばせる。
「ようやくだねえ。主さまのお帰りだ」
いそいそと立ち上がり、火狐たちに出迎えを命じようとした弧白は、不意に小首を傾げると遠くに感じる藍丸の気配に面白そうに目を細めた。
「ずいぶんと気を張っていること。いったい何を隠しているのやら」
くつくつと喉の奥で笑ってから、ちらりと舌で口唇を舐める。
弧白を放って一人で出かけたつれない主は、どうやら人目につきたくないようで、家哭に命じて裏口からこっそり入ろうとしているようだった。
若き主は生来隠しごとに不向きな性質だ。
どうせすぐに雷王や弧白にばれてしまうというのに、懲りずに内緒ごとを作ったらしい。
弧白はといえば、それがどんなに小さな秘め事であろうとも、藍丸のことなら何でも知りたくてたまらない。
藍丸が弧白に秘密を作ろうということさえ腹立たしいほどで、だから今は少しばかり意地の悪い気持ちになっていた。
―――さて、どうしてくれよう。
不穏な笑みを浮かべた口唇を指先でなぞり、考えを巡らす。
自室に入ってほっとひと息ついた頃合に訪ねて行って、有無を言わさず内緒ごとを暴いてしまおうか。
うまくすれば涙目になった藍丸に、必死ですがりつかれ「堪忍してくれ」と懇願されるかもしれない。
想像すると、案外棚ボタの役得かもしれないと、弧白は一転して機嫌を良くした。
さて、どういじめてやろうかと考えながら、ひとまず腰を下ろそうとした弧白は、藍丸の気配の行方に意外そうに目を瞠った。
階段を駆け上がってくる気配は紛れもなく藍丸のもので、しかもそれは真っ直ぐに弧白の部屋を目指していた。
普段、藍丸が弧白の部屋に来るようなことはない。
何故なら、弧白が藍丸の部屋に入り浸っているせいだ。
珍しく戸惑う素振りを見せる弧白をよそに、藍丸が部屋の前で声をかけてきた。
「おい弧白、俺だ入るぞ」
ご丁寧に小声で呼ばわれる。
「……お入り。藍丸ならいつだって歓迎さね」
答えるが早いか、藍丸がスルリと部屋に入り込み、襖に背をつけて何やら真剣な面持ちでじっと外の気配を窺っている。
怪訝そうに眉を寄せる弧白の前で、やがて藍丸は大きく息をついた。
「よし!どうやらひとつ目や桃箒には見つかってねぇみてぇだな」
「―――おかえり、藍丸。 どうしたんだい、ずいぶんコソコソと帰ってきたんだねえ」
お前はこの屋敷の主なんだよ、と言いたいのを堪えた弧白は、咳払いをしてから藍丸の羽織を脱がせようとその背に回った。
子供のように着物を調えられながら、藍丸は肩越しに振り返り、屈託なく破顔した。
「だってよー、今日はちっとばかし連中に見つかりたくなくってなあ。
さっきだって、家哭に頼み込んで裏から入れてもらったくらいなんだぜ」
「ふぅん」
身仕舞いもそこそこに、そこに座れと示されて、弧白は訳がわからないまま腰を下ろす。
向かいに座った藍丸はもったいぶるように懐から包みを取り出してみせた。
得意げに弧白を見ると、「どうだ」と言わんばかりに包みをほどく。
白き妖と藍丸が注視する中、伏紗の中に更に丁寧に竹の皮でくるまれたそれは―――。
出てきたそれを見て、藍丸はキラキラした目で弧白の様子を窺っている。
弧白の反応を楽しみにしてる童子そのものの表情だ。
どうしたものかと、ゆっくりと瞬きをしてから弧白はひとつ頷いた。
「……これは、金つば、だね」
「おうよ!大黒屋の常連にだけ特別に売ってくれる、限定金つばなんだぜ!」
嬉しくてたまらないと藍丸はウキウキと金つばを見つめる。
「このツヤ!大きさ!歯ごたえ!くぅ~っ!たまんねぇ! 中に入ってる栗がまたいい味わいを出していやがるんだよなあ!」
―――どうやらすでに試食済みのようだ。
「それが貴重な金つばだってことは分かったけれどねぇ、藍丸。お前はこの屋敷の主なんだから、何も裏から入って来ずとも、堂々と表から帰ってくればいいじゃないか」
不満そうな弧白に、藍丸はバツが悪げに頭をかいた。
ごまかすように足をくずしてあぐらをかくと、そんなことより、と咳払いをして弧白の袖を引いた。
「細けぇこたいいから、ほら、食おうぜ、弧白」
悪戯を見とがめられた童のように、あのな、と続けた。
「……限定だから、大黒屋のおやじもあんまり量を作ってねぇんだ。ひとつ目達にまで分けてやれる分は買えねぇからな。
だから、今日は俺と弧白だけでこっそり味見する分しかねぇんだよ」
ひとつ目達や桃箒たちには今度また別の菓子を買ってやるから、今回は我慢してもらおうぜ、と藍丸はにやりと笑ってみせた。
とっときの秘密を教えてやったと言わんばかりの藍丸の様子に、弧白は思わず吹き出した。
白い綾織の袖で口を押さえてクスクス笑う弧白に、さすがに藍丸も口を尖らせる。
むくれそうな気配を察して、弧白は藍丸の手元から金つばの包みを取り上げた。
竹串を手にした弧白は優雅な仕草で件の金つばを切り分けると、それを藍丸の口元へと運んで柔らかく微笑した。
「はい、あーん」
「ん」
反射的にパクリと食べてしまった藍丸だったが、ややしてから納得がいかぬ様子で首を傾げた。
「――おい、俺ぁ、お前に食わせようと思って持ってきたんだぞ」
お前も食えよと促され、弧白はどこか不穏な笑みを口辺に刻んで頷いた。
「もちろん。可愛いお前が私のために持ってきた土産だもの。ゆっくり味わって食べるとも」
「おう。美味ぇぞ、これ」
そんな気配に気づく様子もない藍丸の口元に、弧白は再び竹串にさした金つばを運んでよこす。
「だからね、ねえ? お前手ずから食べさせておくれよ」
いっそ爽やかに見える笑みを湛えて、若き主の口中に金つばを放り込む。
「…おい、こらっ、弧白…っ」
もごもご言いつつ、文句を言いかけた藍丸の首筋を、弧白の手がするりと引き寄せる。
間近に迫る白き妖の艶やかな微笑み。
「私に、食べさせてくれるんだろう?」
甘く吐息で囁いて、そのまま藍丸の唇を己のそれで塞いだ。
目を白黒させて抵抗も忘れた藍丸へ、深く舌を差し込み金つばを分け合うように舌で探ると、主の身体が小さく震えた。
抵抗なぞさせるものかと、弧白の腕が藍丸の背を引き寄せて、もっとお寄越しと囁くと、藍丸は苦しげに呻いた。
「ん…っ、……ンっ、ぅ…」
「―――ん、藍丸…」
存分に藍丸の舌と―――金つばを味わった後、弧白は少しずらした口唇でうっとりと呟いた。
「甘いねぇ…」
「ん…、そりゃあ、な、」
息苦しかったと肩で息をする藍丸は、色気の欠片もない仕草で、ぐいと口元を拭っている。
それを横目にクスリと笑い、弧白は婀娜めいた笑みを零す。
「なんて甘いんだろうねえ、お前と私の秘密の味は」
「……はあ?」
何言ってやがると顔をしかめた藍丸の頬を、弧白の指先が誘うようになぞってゆく。
香り高い花のような濃厚な色香を滲ませて、白き妖は主の耳元へ毒を注ぎ込むように囁いた。
「おや、違うのかい?
これは藍丸と私だけの秘密だろう?」
「あ? …ああ、まあ、な。そういうこと、か?」
訳が分からないと顔に書いてある藍丸の口元に、じゃれつくように舌を這わせて弧白は楽しげに肩を揺らしている。
「こら、くすぐってぇぞ、弧白」
邪気なく笑う藍丸にしなだれかかりながら、弧白は満足げに吐息を漏らした。
「ああ、甘くて、たまらないねぇ」
二人だけの秘密がかように甘いものならば
―――二人だけで味わう罪の味は、どれほどこの身を蕩かしてくれるのだろうねえ。
聞く者のない囁きは、甘い余韻を残して弧白の胸の奥に溶けてゆくのだった。
<Fin>
<09・11・4>
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