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白い花

Dummy

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堕ち神 後編 (弧白×藍丸)

後編です。

弧白さんはいつもいつも羽織に惚れ直してるといいと思うんだ(*´∇`*)

あの帯の赤い組み紐が、藍丸への隠れ忠誠の証、という設定には鼻血吹くほど萌え上がったのもいい思い出です。

現代ではどこに忠誠の証を刻んでるんだろ。

まあ、そんな訳で藍丸一紋現代編っす。





堕ち神  後編 (弧白×藍丸)



軋みをあげてひび割れてゆく闇を貫く一条の雷が、山ノ神の張った結界を木っ端みじんに打ち砕いた。
断続的に小さな落雷が落ち、結界の張られていた社はたちまちに破壊されてゆく。
たった今まで淀んだ闇と血に満ちていたはずのそこは、夜闇の清浄な空気に洗われて隠されていた姿を浮き上がらせた。


「藍丸!無事か!」


夜気を切り裂く聞きなれた太い声に藍丸は答えた。


「雷王、ありがとよ!ちょうどいい頃合いだったぜ」
「うむ。間に合ったようだな」
「助かった。すげぇ強い結界だったからな。内と外から同時に破らねぇと、巣からあいつを引きずり出せねぇ」


―――藍丸が結界の内に入り山ノ神の隙を作る。
その隙に合わせて雷王が外から強引に結界を壊す。
どう考えても無茶な作戦だが、早急の解決を成すためには致し方ない策ではあった。


「…無茶をするな、藍丸」


小言を言いつつ宙から降りてきた雷王は満身創痍の藍丸の姿に気がつくと顔をしかめた。
何か言いたげな守り役を手でとどめて藍丸は、ふと顔を巡らせた。
雷王もまた緊張した面もちで気配を辿る。


「―――しぶといな。まだ生きているのか」
「まあな。やっぱ元は神だからな。そう簡単に始末させちゃあくれねぇらしい」


藍丸はさして驚いた風もなく、悠然と片笑みを結び一歩進んだ。
あちこちに負った傷など感じさせないしっかりとした足取りで構えた長刀をひとつ振るう。すぐに刃は小太刀に変じた。


雷王に背を向けて、崩れた社の奥から姿を現す堕ちた神へと歩を進める。


「雷王、例の、頼むぜ。―――あとな、手を出すなよ。弧白にも言っとけ」
「心得た」


ひとつ頷く雷王の目の前で、山ノ神はその異形を余すことなく顕してゆく。
―――いったいどれだけの血と穢れをため込んだのか―――。
それは、長く生きた雷王でさえ顔をしかめたくなるようなおぞましい姿をしていた。
藍丸は小さく笑う。


「はは、お前、さっきよりもデカくなってるじゃねぇか。一体どんだけ力をため込んでやがるよ」


穢れた力を。
捻れ上がる巨体に滲む腐肉と血から凝った闇があふれ出すようで、それだけでも障気にあてられる心地だ。
かつての神。
今や邪性を纏う異形の妖。
見ているだけで飲み込まれそうな闇だった。


それでも、負けるはずがない。


藍丸は口唇を舐めて腕をかざした。


先ほどまで身に溜めていた焔はすぐに身の内に燃え盛り五体を走り抜ける。


体の奥からふつふつと湧きだしてくる絶対の力。焔の気配。
逆らう者をみな滅殺し尽くす煉獄の業火。
満ちる。満ちる。
指の先から腕を伝い、すべてが満ち満ちてゆく。


体に浮かび上がる緋の紋様が発光する。


覚える昂揚に視界が赤く染まった。
じわじわとこみ上げてくる歓喜の情動は内に眠るもう一人の感情だろう。


―――口元にわずかな笑みをはき、藍丸は目前で獰猛な唸りをあげる堕ちた神と対峙した。


そして、その背後で両腕に雷を纏いつかせた雷王が戦いの趨勢を見守っている。


厳しい面もちで見守る雷王は、ふわりと宙から舞い降りた白い妖に目だけを向けた。


「…遅くなってしまったよ。まったく、三下風情が手こずらせてくれる」


忌々しげに呟きながらも、弧白もまた目前の藍丸と山ノ神を注視する。


「ふん、随分とけがれに呑まれているじゃないか。確かに、あれほど血に満ちては今更どうしようもない。存在すべてを消すしか方法はなかろうよ」


意地悪げに口端を上げた弧白は傍らに泰然と佇む雷王に目を向けた。
雷王は両腕の雷を練り上げ、気合一閃、辺り一帯を雷の結界で覆い隠すと、おい、と弧白に声をかけた。


「なんだい」
「お前も結界を張らぬか」


弧白は片眉を吊り上げたが、何も口にはせずに符を取り出すと同じく周囲に不可視の結界を張り巡らせた。
今の世は江戸むかしとは違い人間どもの道具も随分と発達した。
せめて結界でも張らねば不作法な人間らに妖の世界をすぐに知られてしまうだろう。


弧白は目の前で敵と間合いを取り、今にも戦いを始めそうな藍丸を見つめた。


「ああ、藍丸。あんな怪我をして―――」
「手出し無用との藍丸の命だ」
「―――藍丸が、」


痛ましそうに眉をひそめる弧白の耳に藍丸の気合いを入れた叫びが聞こえる。
腕に振りかぶった焔がきらめきまばゆいばかりに辺りを照らし出す。
同時に山ノ神も跳躍し黒い爪牙で藍丸の炎を切り裂いた。
唸る獣の爪をいっそ前に踏み込み小太刀で交わす。
刃の軌跡に炎が舞った。
焦れた堕ち神が爪で地をかき、ひとつ吠えた。
腐肉からボタリと滴る蛆が黒い障気となり周囲に漂い始める。
低く唸る山ノ神が憎悪にたぎる目を藍丸へ向ける。
再び跳躍した獣は宙に留まるとひとつ首を振るった。


「ちっ」


突如背後から迫ってきた風の刃をからくも交わした藍丸が体勢を直すより先に縦横に疾風の攻撃が迫る。
金の気を存分に含んだ攻撃がひとつでも当たれば藍丸は深手を負うだろう。
だが、藍丸はさして気にしてもいないようだった。


「まだまだ!」


逞しい笑みを口元に、怪我のない腕で真一文字に
宙を切った。
指先から絢爛たる炎が生まれ出す。
次々と生まれでる金色の炎はまるで綾錦のごとき艶やかさで、見守る弧白は知らず息を飲んだ。
火焔の羽織を中心にうねるように湧き出る焔の中心が青白く揺らぐ。
舞い踊る焔はその優雅なまでの動きに反して一片の容赦すらない苛烈な力を宿していた。


―――なんて、うつくしい―――。


そっと口唇を動かす弧白の頬には興奮のためか薄っすらと朱が差している。


自在に炎を操り、その中心で悠然と微笑む主はまさに妖を統べる羽織そのものだ。
神の名を冠する存在に向けて、いっそ傲然と笑みすら見せる。


「そろそろしまいにしようぜ、山ノ神」


藍丸の意志に合わせて一層燃え立つ炎は、ゆっくりと藍丸の腕へ集まってゆく。凄まじいまでの焔の気配に山ノ神のみならず、弧白と雷王の腹の奥にまで畏れを生じさせた。


主の焔に目を向けたまま、雷王が重々しく呟いた。


「見ておけ」


傲と燃える焔。


「お前を信じて待ち続けた藍丸の一日一日をしかと見ろ」


山ノ神の畏れと憎悪を含む雄叫び。


「帰ってきたお前が誇ることのできる羽織にならなくてはならぬと、ひたすらに己を鍛えてきた藍丸の姿を―――」


「……」


千年を越えて生きる妖狐の化身の琥珀の瞳が瞬きすら惜しいとばかりに主を一心に見つめている。まるで幼子のような一途な色さえ浮かべて。


練り上げられる青火が金色に包み込まれた。


火焔の羽織の目配せひとつで焔が生まれ出ずる。こぼれた焔が意志を持つかのように地を走りぬけ、藍丸と山ノ神を囲いこんだ。


「―――さあ、お前の放浪も今日でしまいだ」


いっそ優しい声で藍丸が宣告する。
腕に収束してゆく焔が藍丸の意志を受けて舞踊った。
藍丸がいっぽ踏み出すと山ノ神が一歩後退さる。
威嚇の唸りを低くあげた獣が藍丸を睨みつけて、牙を剥く。


逃げようにも背後は既に火の海だ
逃げ場を失った獣は最後のあがきとばかりに天を向いて猛々しく咆哮する。
遙かな峰。かつて神が守り続けた深い山々に木霊した日を想起させる、それは聞く者の背筋を伸ばすような遠吠えだった。
やがて高く低く細く、哀切に満ちた山ノ神の声が途切れると、獣は腐肉をまき散らして地を蹴った。


藍丸が腕を構える。
牙を剥いた獣の爪を炎が弾く。


「もう、休む頃合いだぜ、山ノ神―――!」


腕をから放たれた焔が巨大な竜の如く渦を巻き獣に迫る。
獣の口から悲鳴が上がった。
だが、それは炎に巻かれてついに藍丸の耳には届くことはなかった。


藍丸は生み出した焔の全てを獣に注ぎ込み続ける。


まばゆく輝く焔の赤に照らされる藍色の羽織の表情は、神を弑したとは思えぬほど凪いだそれであった。


羽織の横顔と、焔の中でぐずぐずと溶け崩れてゆく元神の姿を見つめながら、弧白は我知らず陶然とした面持ちで吐息をこぼした。
敵をすべて滅殺し尽す羽織の放つ裁きの炎だ。


だが、弧白の恍惚を散らすように目の前の炎が形を変えてゆく。
美しく容赦なく敵をほふる焔が波打ち一際大きく逆巻いた。
天を突かんばかりに舞い上がった焔が翼を広げる。


「―――ああ、あれは…」


弧白の呆然とした呟きに、雷王がわずかに笑んだようだった。


かつて緋王がもたらした破壊と殺戮のための焔が、今や藍丸の持つ慈悲の焔に変じてゆく。
どこまでも美しい焔の内で、ついに山ノ神は跡形もなく消え去った。
だが、焔の翼が消えてゆく獣を包むように広がっていく。


「……再生の、炎、」


彼らが離ればなれであったこの300年で藍丸が得た答えをまざまざと見せられて、弧白は炎の気配がなくなるまで身動きひとつできなかった。


ふう、と藍丸の洩らした呼気で、弧白は夢心地から目覚める。ひとつ瞬きして、それから慌てて藍丸の元へと参じた。


見れば主は肩に深い傷を負っている。
羽織の流す血の色にらしくもなく度を失いかけた弧白へ向けて藍丸が安堵したように微笑んだ。


「弧白」
「―――藍丸」
「へへっ、どうした、お前のほうが倒れちまいそうな顔色じゃねぇか。…っと、やべ、ちょっと無茶しちまったか」


よろめいた主を抱きかかえるように弧白が支える。


「ああ、まったくひどい怪我だ。―――すぐに手当をしてやるからねぇ、藍丸」


早速、甲斐甲斐しく手当を始めようとした弧白の隣に雷王も並んだ。
弧白と同じく青い顔をして藍丸の怪我の具合を見立ててゆく。


「やはり敵の結界の内になどひとりでやるのではなかったな―――。このような深手、久しく負っていないではないか」
「しょうがねぇだろ。相手は俺と相性の合わねぇ相手だぜ。無理をしなくちゃいつまでたっても解決できねぇ」
「だけどねぇ、藍丸。外の三下どもを私らに任せて、お前だけ敵の巣に赴くなんて、私の心臓がいくつあっても足りやしないよ。頼むから、もうこんなことはしないでおくれ」


江戸の頃から300年。従属たちの小言と心配性はいっかな変わることがないらしいと藍丸は苦笑した。


二人とも千年を越えて生きる大妖だ。彼らから見れば羽織とはいえ、ほんの童子の頃から世話をしてきた藍丸など目の離せない赤子に等しいのかもしれない。
己の鉄火肌が従属をやきもきさせていることにも気づかず、藍丸はやれやれと眉を下げた。


やがて簡単な手当を終えて藍丸が落ち着いたのを見てとった雷王は、養い子の髪を撫でつけた。


「ではな。藍丸。すぐに車を回してくる。ここで待っていろ」
「おう。頼むぜ、雷王」


雷王の遠ざかる背を見送ると、藍丸は周囲を見渡して、社の瓦礫に目を留めた。
弧白も未だ煙のくすぶる社殿に目を向ける。


「―――すっかり浄化されているね」
「ああ。障気もなくなってるな。―――あの神さんも、もういねぇ」


堕ちた神は藍丸の炎の中に消え去ってしまった。
弧白は気になっていたことをふと問いかけた。


「ところで藍丸。ヤツは堕ちても神は神だ。―――なにか呪詛を残されてはいないだろうね?」


神殺しで食らう返しは時に死ぬまで解けない。場合によっては死ぬより辛い呪詛を受けることとてある。
いかに藍丸が羽織であっても妖には違いない。
倒したはいいが返しを食っているのではと案じる弧白に、藍丸はくすぐったそうに笑んでみせた。


「大丈夫だ。何もねぇよ。心配すんじゃねぇ」


そう藍丸が言うのに、弧白は尚も心配そうに言い募る。
見る者に寒気を覚えさせるほどの美貌を切なげに曇らせる弧白に、藍丸は仕方ねぇ奴と肩をすくめた。
怪我をしているせいで少し痛そうにする藍丸に、弧白がすわ呪詛ではと色めきたつ。


「まさか―――、呪詛を体内に仕込まれたのではなかろうね。藍丸、ちょいと体を見せておくれ」
「わあっ、ちょ、大丈夫だって言ってんだろうが!…こら、服を剥くんじゃねぇよ、弧白」


慌てて身を捻る藍丸に不服そうな様子の弧白へ、火焔の羽織は小さく片笑んでみせた。
白い妖の手を軽く押さえ、悪戯めいた目で従属の顔をのぞきこむ。


「安心しろよ。俺の炎で送られたんだ。神さんだって無事昇天してらぁ」


主の言葉に弧白は無言で続きを促した。目顔で問われて藍丸も言葉を続ける。


「いつだったか江戸の神は、俺の炎を破壊するだけで何も産まない炎だって言ったんだ。…けどな。時に炎は全てを浄化する。一度全てを消し去る代わりに、新しい何かが芽吹くきっかけにもなる。禍々しい存在を一度終わらせて、そして生まれ変わるることだってできるかもしれねぇ」


だからな、と藍丸は明るい眼差しで弧白を見た。


「俺の焔は、そういう焔なんだ。緋王藍丸様の焔なら、神さんの呪い返しだって来るはずねぇだろ」


あ、と弧白は息を飲んだ。
鮮やかな笑みをはく藍丸の気負わぬ自負は、確かに江戸東京を妖を束ねる羽織のみが持ちうる覇気に満ちていた。


―――藍丸がこの解を得るまでどれほど苦悩したのか。
あの焔を纏いうるまでどれほどの襖脳を経たのか。
藍丸は語るまい。
弧白が、己の渡ってきた300年を語らぬように。


それは互いの再会を信じて生きてきた彼らが己一人の胸に抱えるべきものだった。


胸が熱くなるような歓びか。あるいは切なさに涙を覚えてしまうがごとき情動。
否。―――それよりも、もっと。


弧白は藍丸の頬を手のひらでそぅっと包み込むと、恭しく主の口唇にくちづけた。


うずくような愛しさと、畏れ。


相反する衝動に動かされるまま、弧白は藍丸に幾度もくちづけた。
触れるだけのそれは、弧白らしくもなく欲情を滲まぬ、どこか厳かな儀式めいた雰囲気を醸している。


「―――藍丸様」


掠れる声で弧白に名を呼ばわれて、藍丸は伏せていた目を上げた。
吐息が触れるほど間近で、白い妖は美しい貌に微かな笑みを湛えて主を見つめている。
どこか泣き出す寸前のようなひどく無防備な表情。


「…弧白」


情人の腕の中、ため息をつくように藍丸は呟いた。
彼のこんな表情を見ることができるのは、自分一人だけなのだという確信と共に胸を焦がす愛おしさ。
永の旅路を終えてようやく自分の元に帰ってきたこの男を、二度と離したくないと思う。


弧白の腕を引いてその胸元に身を寄せながら藍丸は囁いた。


「なあ、弧白。俺はお前の羽織だろ?―――そして、たったひとりの情人だ」


縛り付けたいと強く思う。
この白い妖を。従属を。分かち難い半身を。


「そうだろ、弧白」


声音は少しすがるようだったかもしれない。
白い妖は微かに笑みを結ぶと、藍丸の頬に己のそれを擦り寄せ、甘やかすように抱きしめた。


「ああ、そうだとも。私の藍丸。私のすべてはお前のものだ。―――初めて出会ったあの日からずっと、ね」


未だ薄闇に紛れる刻限。


白い妖は再び藍丸にくちづけて頬ずりすると、おもむろに身を離してその場にひざまづいた。


「お、おい、弧白?」


きょとんとする藍丸の足に弧白は額を押しつける。


「緋王藍丸様。此度の征伐、おめでとう存じます。
神殺しのお役目を無事に成しえましたお力、しかと目に焼き付けましてございます。
願わくば、今このときより、この弧白めが羽織様の御身に、千歳万歳に至るまでお仕えすることをお許しくださいますよう、伏してお願い申しあげまする」


畏敬に満ち満ちた白い妖の言葉に、藍丸はひとつ瞬きをしたあとで、弧白の意を察したのか得心げな笑みを口辺に刻んだ。


「許す」


晴れ渡った空のような明るい声と表情で藍丸は足下に額づく従属に答えた。


―――この男が仕えるに足る羽織になること。
それが藍丸の300年を支えてきた目標だった。


藍丸のために血を流し、修羅の道へ踏みいった従属に応えるために。
離ればなれになっていた年月を悔やまぬために。


藍丸はひたすらに己の焔を鍛えてきたのだ。


そして、今。
藍丸は膝まづいて自分を見上げる白き妖の目の中に、おき火のように燃える情と、限りない崇拝を見て取っ
た。


―――なあ、弧白。
俺はお前が思っていたような羽織になれたか。


そっと心にそう呟く。


女々しいと、我ながら思うからけして口には出さない。
なにより、藍丸は弧白のためだけに羽織として生きてきたわけではなかった。
か弱い妖を守るため。そして、藍丸が目標とする理想の羽織の姿になるために生きてきたのだから。


万感を込めた眼差しで従属を見つめると、応えるように弧白の切れ長の目が笑みを浮かべて細められる。


―――偉かったねぇ、藍丸。よく頑張ったこと。


遙かな昔。幼子だった藍丸をあやした優しい声が聞こえてくるようで、藍丸もまた微かに笑みを浮かべた。


未だ膝をついたままの弧白に手を伸べる。


「……さ、行こうぜ、弧白」


いつになく神妙な面もちで藍丸の手を取った弧白は、そのまま両手でそっと主の手を包み込んだ。
愛おしくてならないと言いたげな目で藍丸を見つめた白い妖は主へ向けて囁いた。


「いついつまでも、あなた様のお側に、」
「ばーか、なに当たり前のこと言ってやがる」


照れたように口を尖らせた藍丸が片手で弧白の前髪を引っ張った。
そんなじゃれつくような仕草が愛しくて弧白もまたふふと笑う。


「可愛いねぇ、藍丸」
「お、おい、弧白、引っ張るなって」


抱き合うように肩を引かれた藍丸が、困惑したように弧白を見上げてくる。


じゃれあう二人の背後から雷王が運転するRV車の排気音が迫ってきた。
弧白の腕の中から顔を覗かせた藍丸はパッと顔を輝かせる。


「お、来たみたいだな、雷王のやつ」
「―――やれやれ、いいところで邪魔をするのは300年前と変わらないねぇ。相変わらずの野暮天だこと」


さらりと毒づく弧白に藍丸が呆れたように目をむける。
そんな藍丸へ艶めくような流し目をくれると弧白は微かに頬笑んだ。
匂いたつ男の色気に当てられた藍丸が言葉を失うのを横目に、弧白は車へとゆったり歩を進める。


「待たせたな、藍丸。さあ、人目に付く前に帰るとしよう」
「そうだな、―――ああ、さすがに今日は疲れたぜ。帰ったらゆっくり風呂に浸かりてぇなぁ」
「おや。じゃあ、私が隅々まで洗ってあげようかね」
「弧白!やめぬか!」
「ああ、うるさい雷獣だの。情人同士が風呂に入るくらい当たり前じゃないか」
「お前たちは一度風呂場に入れば一刻は出てこぬではないか。藍丸は羽織だ。その羽織がそんな有様では周囲に示しがつかぬと言っているのだ」


雷王の言葉に弧白は鼻を鳴らして挑発するように片眉をあげて口の辺に冷たい笑みを刻んだ。


「お前らなぁ…、風呂くらいでそんな喧嘩するんじゃねぇよ」


相変わらずの腹心二人の言い争いに、藍丸は脱力した。
けれど、そんな彼らの姿に腹の奥がくすぐったくなるような喜びも覚える。


―――まるっきり300年前と同じようなやり取りだった。


二人の口げんかを背に聞きながら、藍丸は笑みを湛えて空を見上げた。
ツンと鼻の奥からこみ上げてくる涙の気配を押し込める。


見上げた先には夜明け間近の暁闇が広がっていた。
潮の香。冷たい海風。
どこか遠くで、カアと泣く明け鴉の羽音がした。


空に意識を広げれば少しずつ動き出す人の営みの気配がする。


そして、藍丸の後ろでは彼の背中を守るように、支えるように、甘やかすように、雷王と弧白が添っていた。


かつて、江戸で萬屋を営んでいた頃と同じような佇まいで。
ため息をつくように藍丸は吐息で笑った。


自分がいて、雷王がいて、弧白がいれば、なにも怖いものなどなかった。あの頃、江戸の町で萬屋を営んでいた頃の藍丸と同じ心持ちになっている。


ようやくだ。
ようやく、彼らは同じ場所に戻ることができたのだ。


本当は分かってはいる。何もかも同じものなどないことを。
けれど、それでも、彼らが三人でいる限り。
藍丸の側に弧白がいてくれるかぎり、やはり恐れるものなどなにもないのだと、そう思えた。


―――ああ、今日も晴れそうだ。


明けてゆく空の色を見上げながら藍丸は冷たい朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。


胸元に突っ込んでいた携帯電話から極楽蝶がヒラリと舞い上がる。
一拍遅れて軽快な着信音が鳴り響いた。


携帯電話のメールを確認した藍丸が従属に声をかける。


「おーい、お前ら、そろそろ行こうぜ。桃箒が朝飯用意してくれるってよ」


腹が減ったな、と笑う主に二人の妖もまた笑って頷いた。


主の歩みに合わせて雷王と弧白も歩みを進める。
ただそれだけのことが嬉しくてならず、藍丸は顔がほころぶのを止められなかった。

 



車へ向けて歩き出す三人を、埠頭を照らす朝日がまばゆく照らし出した。




<Fin>
<2011・8・16>

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